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猪瀬直樹「言葉の力」

【第一部サマリー】 《》内は引用。
主張:言語技術を磨くべきである
1.言語技術はなぜ必要か

「言葉」は世界をとらえる道具であり、世界をとらえる=自分という点を世界という空間に定置することができなくなった状態がアノミーであるから、現在の日本のアノミーは「言葉の力」≒言語技術が失われたことによるものである。アノミーを打開しヴィジョンを描くには言語技術を取り戻すことが必要である。
2.言語技術とは何か
自分の考えを論理的に説明するための技術で、特に基礎=スポーツでいう「フォーム」にあたるところを指している。《サッカーの指導で、「ゲーム・フリーズ」と、ゲームを一時中断することがある。子供たちがパスミスなどのプレーをしたときに、ゲームをとめて間違いを修正する。「だるまさん転んだ」という遊びがあるが、それと同じで、ぴたりと動かずに停止する。瞬間の記憶は20秒しか残らない。そこで、いまのパスはどこがいけなかったのか、その場で原因を確かめ合うのある。ドイツでは、コーチが子供たちに「どうしてそういうパスをしたのか」と訊く。それを受けて、まだ12歳の子供同士が議論をする。論理的思考をぶつけ合う訓練が、あたりまえに行われている》《一枚の絵画を鑑賞するにも、それがどのような構成要素から成り立っているかという無意識でも分析的な視点が入らないと、世界は語れない。感性でとらえていっるように思うかもしれないがじつは同時に論理で対象をとらえているのである》《欧米の言語技術教育では、こういう場合に時計回りで説明することを小学校のときから徹底して教えている。時計回りに「ドアからソファー、たんす、テレビ、本棚……」と説明すれば、映像がパッと頭に浮かぶ。よい文章は、必ず映像が浮かぶ。聞き手も容易に部屋の空間を想像できる》
3.言語技術はいつ必要か

日本人はサッカーには弱いが、野球には強い。《日本人は集団主義だと言われるが、チームワークを発揮できる場面が限られている。たとえばクラスのほぼ全員が紐で足首を縛りともに走る「30人31脚」や、いっしょに跳び上がる大縄跳びのように、横並びで同時に動くことは得意だ。しかし、サッカーのように、個人がそれぞれの判断で、しかも多角的に連動しコミュニケーションをとっていくことは苦手である。野球はどうなのか。守備範囲が決まっているところが日本人に向いているのかもしれない。》とのこと。《同質のチームワークには強いけれども、異質のチームワークには弱いのである》。このような「異質の」コミュニケーションをとる際に言語技術が必要であり、これをできることはグローバルスタンダードである。
4.言語技術はいつから失われたか
戦後から。それでも高度経済成長には問題が顕在化することはなかった。それはいわば「ディズニーランド状態」であり、米兵という門番に守られた閉鎖空間の中で身内であれこれ言っていただけだった。そしてそのまま現在に至る。三島由紀夫はこの状態を呪詛した。そしてこの「夢の国」は、3.11に崩壊した。
5.言語技術を取り戻すために誰が何をするべきか

国としてすべきことは教育。ただし言語技術とは単なる国語力(や数学力)の話ではない。サッカー(スポーツ)や絵画(芸術)にいたるまで、すべての教科もあらゆる場面で関わってくるものであり、それらを通して日常的に鍛えられるべきものである。ドイツやフィンランドの教育が参考になる。
個人としてすべきことは言語表現の訓練。要は「書く」ことだが、流行語、擬音、カタカナ語、無駄な形容詞は多用しないほうがよい。なぜなら狭いムラ社会の共通前提に拠ってしか機能しない言葉だから。読書も有効。衝動買いが良い。

第二部、第三部はまるごと割愛。なお第二部のタイトルは「霞ヶ関文学、永田町文学を解体せよ」、第三部は「未来型読書論」。

---サマリーはここまで。ここから読書感想文---

言葉の機能を内的なもの/外的なものと分けてみる。外的な機能とは「自分の考えや見たものを相手に伝える」こと。分かりやすく、誤解なく、解釈のぶれを最小化して、伝達するということだ。こちらの機能はよく知られているところだし、これが言葉の本質だと考えている方も多いのではないか。
しかしそれがすべてではない。言葉には内的な機能もあり、こちらもきわめて重要だと私は思う。内的な機能とは何か。複数の表現がある。
・自分の中にある言語化されていないモノ=「マグマ」を言葉として固める凝固剤の役割を果たす
・非限定的なカオス状態をシンボル化する
・内在的な諸要素を物=客体の面の上に定置する
こんなところ。このようなプロセスは理性で何かを考えるときには不可欠になるものだから、言語技術は相手とのコミュニケーションだけでなく内省的な思考を深める上でも重要性が高い。そして言語技術を欠くことによる最大の問題点はここにある。伝える手段がなくなることより、伝える内容がなくなることのほうが本質的な問題点だと私は思う。
こんなことを書いた私も、読んでるあんたも、神ではなく、当事者だ。
そんなわけで、みんなもっとブログ更新しようぜ(結論)
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