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リーズン・レーズン・フローズン

ポケットパーティー。あと東方玉神楽とか。

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老化している

王道ストーリー、定番のテクニックはウケる。免疫のない人は崇拝にまで至る。逆にある程度読んで(見て)しまうと、あの作品の焼き直しだな、とカテゴライズしてしまう。
面白さではなく、免疫がないから感動していたのか。感動とは無知の恩恵だったのか。過去の作品を忘れればいいのか。そんな退廃的な行為だったのか、フィクションを読む(見る)ということは。
評論家になり、構造化して、ここは似ているけど、ここが違うなどと、切り分けてみせればいいのか。オタク的に細部を穿ち、弁を立てて見せればいいのか。見るべきところがこんなにあったのかと、指摘を仔細に検証すべきなのか。そうして「作品がつまらないんじゃなくて、アンタがつまらない人間になったんだ」という言葉の矛先をへし折って見せれば立派なのか。
フィクションは、もっとパワフルなものだったという印象を私は今も持ち続けている。切り分ける必要も、細部を穿つ必要もなく、私の観念に一撃の強打を加えてくれるものだったはずだ。
中学まで遊んでいたカードゲーム仲間が「卒業」と称してやめていった。あれは子供のものだ、過去のものだと、朋友の裏切りを見た心持ちであった。お前らも早く「卒業」しろよと、優越感に浸りきっているように見えた。
あの悪魔的な微笑を、私は今浮かべようとしている。浮かべまいともしている。フィクションから感動を追体験するのは「卒業」だと、過去の何かを裏切ろうとしている。それを「成長」と合理化しようともしている。
ガツーンとくるようなのが読みたいです。
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猪瀬直樹「言葉の力」

【第一部サマリー】 《》内は引用。
主張:言語技術を磨くべきである
1.言語技術はなぜ必要か

「言葉」は世界をとらえる道具であり、世界をとらえる=自分という点を世界という空間に定置することができなくなった状態がアノミーであるから、現在の日本のアノミーは「言葉の力」≒言語技術が失われたことによるものである。アノミーを打開しヴィジョンを描くには言語技術を取り戻すことが必要である。
2.言語技術とは何か
自分の考えを論理的に説明するための技術で、特に基礎=スポーツでいう「フォーム」にあたるところを指している。《サッカーの指導で、「ゲーム・フリーズ」と、ゲームを一時中断することがある。子供たちがパスミスなどのプレーをしたときに、ゲームをとめて間違いを修正する。「だるまさん転んだ」という遊びがあるが、それと同じで、ぴたりと動かずに停止する。瞬間の記憶は20秒しか残らない。そこで、いまのパスはどこがいけなかったのか、その場で原因を確かめ合うのある。ドイツでは、コーチが子供たちに「どうしてそういうパスをしたのか」と訊く。それを受けて、まだ12歳の子供同士が議論をする。論理的思考をぶつけ合う訓練が、あたりまえに行われている》《一枚の絵画を鑑賞するにも、それがどのような構成要素から成り立っているかという無意識でも分析的な視点が入らないと、世界は語れない。感性でとらえていっるように思うかもしれないがじつは同時に論理で対象をとらえているのである》《欧米の言語技術教育では、こういう場合に時計回りで説明することを小学校のときから徹底して教えている。時計回りに「ドアからソファー、たんす、テレビ、本棚……」と説明すれば、映像がパッと頭に浮かぶ。よい文章は、必ず映像が浮かぶ。聞き手も容易に部屋の空間を想像できる》
3.言語技術はいつ必要か

日本人はサッカーには弱いが、野球には強い。《日本人は集団主義だと言われるが、チームワークを発揮できる場面が限られている。たとえばクラスのほぼ全員が紐で足首を縛りともに走る「30人31脚」や、いっしょに跳び上がる大縄跳びのように、横並びで同時に動くことは得意だ。しかし、サッカーのように、個人がそれぞれの判断で、しかも多角的に連動しコミュニケーションをとっていくことは苦手である。野球はどうなのか。守備範囲が決まっているところが日本人に向いているのかもしれない。》とのこと。《同質のチームワークには強いけれども、異質のチームワークには弱いのである》。このような「異質の」コミュニケーションをとる際に言語技術が必要であり、これをできることはグローバルスタンダードである。
4.言語技術はいつから失われたか
戦後から。それでも高度経済成長には問題が顕在化することはなかった。それはいわば「ディズニーランド状態」であり、米兵という門番に守られた閉鎖空間の中で身内であれこれ言っていただけだった。そしてそのまま現在に至る。三島由紀夫はこの状態を呪詛した。そしてこの「夢の国」は、3.11に崩壊した。
5.言語技術を取り戻すために誰が何をするべきか

国としてすべきことは教育。ただし言語技術とは単なる国語力(や数学力)の話ではない。サッカー(スポーツ)や絵画(芸術)にいたるまで、すべての教科もあらゆる場面で関わってくるものであり、それらを通して日常的に鍛えられるべきものである。ドイツやフィンランドの教育が参考になる。
個人としてすべきことは言語表現の訓練。要は「書く」ことだが、流行語、擬音、カタカナ語、無駄な形容詞は多用しないほうがよい。なぜなら狭いムラ社会の共通前提に拠ってしか機能しない言葉だから。読書も有効。衝動買いが良い。

第二部、第三部はまるごと割愛。なお第二部のタイトルは「霞ヶ関文学、永田町文学を解体せよ」、第三部は「未来型読書論」。

---サマリーはここまで。ここから読書感想文---

言葉の機能を内的なもの/外的なものと分けてみる。外的な機能とは「自分の考えや見たものを相手に伝える」こと。分かりやすく、誤解なく、解釈のぶれを最小化して、伝達するということだ。こちらの機能はよく知られているところだし、これが言葉の本質だと考えている方も多いのではないか。
しかしそれがすべてではない。言葉には内的な機能もあり、こちらもきわめて重要だと私は思う。内的な機能とは何か。複数の表現がある。
・自分の中にある言語化されていないモノ=「マグマ」を言葉として固める凝固剤の役割を果たす
・非限定的なカオス状態をシンボル化する
・内在的な諸要素を物=客体の面の上に定置する
こんなところ。このようなプロセスは理性で何かを考えるときには不可欠になるものだから、言語技術は相手とのコミュニケーションだけでなく内省的な思考を深める上でも重要性が高い。そして言語技術を欠くことによる最大の問題点はここにある。伝える手段がなくなることより、伝える内容がなくなることのほうが本質的な問題点だと私は思う。
こんなことを書いた私も、読んでるあんたも、神ではなく、当事者だ。
そんなわけで、みんなもっとブログ更新しようぜ(結論)

センスがないなら数字を使えばいいじゃない

種族値表の「サブウェポン早見表」の副産物。玉神楽の属性アイコンの背景色と文字色はこんなかんじ。

色:RGB値(R,G,B)

無背景:222, 251, 250
無文字:123, 128, 155

炎背景:254, 212, 198
炎文字:221, 5, 6

水背景:198, 231, 254
水文字:5, 105, 221

雷背景:255, 255, 57
雷文字:140, 105, 8

樹背景:208, 250, 108
樹文字:36, 110, 35

氷背景:189, 231, 239
氷文字:90, 105, 148

闘背景:255, 190, 140
闘文字:189, 48, 24

毒背景:255, 166, 255
毒文字:66, 12, 66

地背景:253, 198, 148
地文字:119. 51, 17

風背景:189, 255, 140
風文字:16, 134, 33

理背景:239, 215, 239
理文字:165, 117, 165

虫背景:189, 215, 99
虫文字:57, 77, 33

岩背景:239, 162, 132
岩文字:90, 24, 16

霊背景:140, 211, 231
霊文字:41, 52, 99

神背景:251, 255, 197
神文字:119, 51, 17

闇背景:132, 130, 132
闇文字:32, 32, 32

鋼背景:231, 227, 239
鋼文字:41, 32, 66

カードゲームについて(1)

ポケパや玉神楽にも通じるところがあると信じて。

トランプは使うカードにあまり変更を加えず、ほぼ一定のものとしてきた。おそらく経済的な観点からだろう。しかし毎回、同じ道具で同じゲームなのはつまらない。どのようにゲームの多様性を確保するか、知恵を絞った。道具は物質であり有料だったが、ルールは情報であり無料であることを発見した。ゲームの多様性はルールの変更によって得られた。
単に「TCG」と言ったとき、トランプその他の伝統的なゲームは含まないことにしよう。遊戯王、デュエルマスターズ、MTGといったような、現代的なトレーディング・カードゲームを指して「TCG」ということにする。このようなTCGでは、ルールの多様性はむしろ小さい。多様なのはカード──つまり道具のほうだ。数が多いだけでなく、数ヶ月に一度更新され、澱んだ空気に新鮮な風を吹き込む。弱いカードではそよ風にしかならないから、当時の基準よりやや強めのカードを投入し徐々にインフレさせるのが一般的である。
MTGには「ドラフト」「スタンダード」「エクステンデッド」とルールの多様性があるではないか、と考えるかもしれない。確かに、規模と年齢層の点から、MTGはルールの多様性を導入するのに適したTCGだ。しかしいずれも「カードプール(使用可能なカードの総体)」を変更しているにすぎない。ドラフトで強いカードは構築でもおおむね強いし、プレイルールまでもが変わるわけではない。
トランプは道具を固定してルールを動かす。TCGはルールを固定して道具を動かす。新旧ゲームの相違点はここにある。

このような二項対立を念頭におくと、ポケモンはTCGに近いことがわかる。道具・特性の追加、物理特殊を技ごとに設定するなど新規要素はあったが、「ターン制」「タイプ相性」「技4つ」という根幹は変わらなかったし、むしろポケモン(とその型)=道具の多様化を促すものであったと見るべきだろう。
ポケモンのTCGからの差としては、新規要素の導入=新鮮な風を吹き込む回数が少ないことがある。TCGが年に数回の変更を行うのに対し、ポケモンは世代更新に3,4年、それらの中点にエメラルドやプラチナ、リメイク作品が入る程度である。TCGに似てはいるがそのものではなく、「あくまでRPG」ということであろう。

ポケパは劇的な変更こそ原作に頼らざるをえないが、仕様変更を通じて常に新しい風を吹き込むことで「飽き」がこないように工夫している。原作と多くの共通点を持つポケパ(好意的な書き方)も「TCG的」である以上、インフレ調整は仕方ないし、またそうすべきだとも思う。「出る杭を打つ」ことを否定はしないが、それをメインにべきではない。デフレ調整に「面白さ」はない。


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